行政書士試験:【憲法の基本】その1⇒『人権享有主体性』のお話
先日、行政書士試験の本試験が終了しましたね。
挑戦された方はお疲れ様でした!!
今は、試験も終わったことだし、自宅で一杯と行った感じでしょうか??
そんな羽を伸ばしている時期に申し訳ないネタですいません。
当ブログは勉強に関しての一般論や僕の経験上のあれこれを、いろいろUPしています。
しかし、いろいろ質問を頂戴したり、分析をしてみると、もっと法律系のネタを充実して欲しいという要望をひしひしと感じます。
そこで、本試験も終了したことですし、気分転換になる程、噛み砕いた内容で、難しい法律の論点などを書いていこうと思います。
基本的には、憲法・民法・行政法あたりの代表的で基本中の基本の論点などや判例をピックアップしてみようと考えています。
(こういった解説系は面白くないですし、自分の勉強のためと自己本位になりやすいのでずっと避けてきたのですが、上記の分析もあって、決心しました。)
まぁ、『なんだかよくわからんな~この話』なんて時には、少し役に立てるような内容がかければ幸いです。
では、本日は憲法の人権享有主体性の話です。
憲法は難しいという声を聞くので
今回はこういう解説系のUPは初めてですので、少し憲法について。
解説なんて僕程度の人間がなんとも申し訳ないですが、知っている範囲でわかりやすく書いてみます。
結局、憲法が難しいのは、身近な話ではないからに尽きると思います。
民法等ですと、難解な用語ではあるものの、解説を読むと意外に今まで経験したような話だったりと非常に身近な話題が多い科目です。
だからとっつきやすい人が多い。
でも、憲法は違います。
なんだか、出てくる言い回しや言葉遣いも『高級』であったり『荘厳』な感じ(笑)
格式が高くハードルも高い気がします。
だから、言い回しに慣れる事が大変で、判例などは、『何を言っているか分からない』となることも少なくなく、初めのうちは日本語なのに分からないという状況に陥ります。
また、憲法が特殊なのは、民法などと違って、国を縛る法律であるということ。
問題では、人権なんて個人のけんりが問題になっているのに、国を縛る法律であるという視点を忘れると意味不明になることも少なくありません。
さらに、憲法では意外にも、歴史的経緯を理解することが、各種論点を理解することに繋がることも少なくありません。
結局、憲法に列挙されている人権や、統治機構という国の構造の話というのは、過去ずっと人類が社会生活を営んできた経験の集積といえます。
国や王から市民の自由が虐げられた経験を議論し集約したのが、あの条文達であると言うとわかりやすいでしょうか?
僕の好きな『ONE・PIECE』(綴り合ってるかな?)なんかでも、よく歯がゆいシーンが描かれています。
魚人島の話なんて、凄く考えさせられる内容でした(笑)(読んだことない方ごめんなさい)
平等や、人権というのは、僕のじいちゃんより上の世代が、国や王から勝ち取ってきた権利なんだと思います。
そういうことを踏まえて憲法は勉強すると、凄く頭に入ってきますから、無駄なことのように思えても少し歴史的なことも考えてみると記憶に定着しやすいです。
憲法を勉強した方の中で、『憲法を義務教育のカリキュラムに』という方も少なくありませんが、僕も個人的にそれも一理あると思う次第です。
(あまり人権派的な主張はしたくありませんが・・・。)
では、人権享有主体の話です
う~ん。。。
いつも人権享有主体とキーボードで入力すると『人権共有主体』になっちゃうんですよね・・・。
なんとかならないでしょうか。
新しいPCに変えてから、もう変換が調子悪くて悪くて(笑)
まぁ、そんな話は置いといて。
さて、憲法を勉強した人なら誰でも知ってる人権享有主体性の話です。
でも、勉強を開始して間もない方の場合、この意味がよく分からないと思う方も少なくないはず。
そこで、かなり噛み砕いて書いてみたいと思います。
憲法の人権享有主体性というのは、早い話、憲法に書かれている各種権利を『享有』できるのか?
という話です。
享有の享の時は、『享受』の享と同じです。
この享の時は『天上界の神に対する“子”という存在であることを意味し、天からの神意を受けたり、天恵を授かったりすることを示し』ているそうです。
う~!!格式の高い文字です。
憲法は、好きですね~こういう字。
この話は、憲法に書かれている人権というものが、誰にだったら保障されているか?
簡単にいうとこういうことです。
ではなんでこれが問題になるのでしょうか?
それは、単純に憲法の第三章の表題が『国民の』となっているからなんです。
第三章は、人権を列挙してある章ですから、この表題が『国民の』となっているということは、日本国民には人権は保障されるということになります。
では、外国人等には人権て保障されているのでしょうか?
って問題が出てきたりします。
日本には、アメリカほどではありませんが、たくさんの外国の方が住まれております。
こういった外国の方に、憲法で列挙されている表現の自由や職業選択の自由、平等権などが保障されているか?
そんな問題なのです。
他に問題になるのは、法人です。
法人って、簡単に言うと、一般の会社のことです。
この法人に、憲法の人権は保障されるのでしょうか?という話です。
一応、法人も日本国内に存在しますから、『国民』と言えるのかもしれません。
でも、僕ら人間(自然人)とは違いますよね?
だから、人権保障する必要あるの~??となるんです。
こういった話が人権享有主体性の話です。
結局、憲法の人権はどんな人に保障されてんの?って話と考えてさほど大きな間違いではありません。
●【まとめ】
人権享有主体性のところの話は、外国人と法人に注意しとけばまず大丈夫。
外国人・法人には保障される??
判例は保障されるとしています。
でも、人権の性質によっては、保障されるものもされないものもあるよと留保はついています。
もうここはほとんど判例だけ覚えていれば良いところですが、少し注意がありますので、お付き合いください。
外国人の場合、人権が保障されるかどうかの基準として下記のように判例は言っています。
『性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、人権規定の適用がある』
根拠は人権の前国家的性格(11条)と国際協調主義(前文、98条2項)です。
前国家的??って意味不明ですが、これは、『人権って国家とか関係なく普遍的に大切よ』という感じで捉えるとわかりやすいです。
つまり、外国とか日本とか関係なく人権の価値観というのは共有されているよね?って感じです。
次に、法人についてですが。
判例はこのように言っています。
『性質上可能な限り保障される』
根拠は、法人も社会の構成員として実態があるよねって感じです。
この外国人についての基準と法人の基準・・・一見同じように見えますよね?
どちらも性質!!性質!!って言ってますし。
でも、これ実は、原則と例外が逆転しています。
つまり、外国人の方の基準は、『原則として外国人にも人権は保障される。例外として保障されない場合もある』となります。
これに対して、法人の方は、『原則として保障されない。でもできるだけ保障しましょう。』となっています。
結構、間違う事があるので、判例が出てきたときは注意しましょう。
この2つの基準の使い分けができれば、憲法の人権享有主体性のところはもう十分です。
この基準で各人権が保障されるかされないか判断することになります。
まぁどの権利が保障されなくて、どの権利が保障されるかは、それほど数ないですから、覚えて終わりです。
人権享有主体性の話は、憲法の初めの方に出てくる議論の出発点となるところですから、ここ落とすと意味不明になります。
できれば、じっくり勉強してやってください。
●【まとめ】
外国人と法人の基準は、原則と例外が逆転しているところに注意ッ!!!